戦場ジャーナリスト「安田純平」釈放
ヌスラ戦線に拘束されていた「安田純平」さんが、無事に保護されました。それ自体は喜ばしいことではありますが、個人的に問題提起をしたいと思います。
河野外務大臣は24日午後6時前、外務省で記者団に対し「2015年からシリアで拘束されていた安田さんの無事を確認した。大使館の人間が現地に赴いて本人と話をしているところだ」と述べ、解放されたのは安田さん本人と確認したことを明らかにしました。
身代金がテロリストに渡っている
【イスタンブール=倉茂由美子】シリア内戦を調査している在英の民間団体「シリア人権監視団」のラミ・アブドルラフマン代表は23日、読売新聞の取材に応じ、ジャーナリストの安田純平さんとみられる人物が解放されたことについて、カタールが身代金300万ドル(約3億3700万円)を支払ったと主張した。
読売新聞「解放へ「カタールが身代金3億円」…監視団体」より引用
報道によると身代金が渡されたようですね。これが問題だと私は思います。テロリストはこの身代金を原資に、兵器や弾薬などテロ活動に必要なモノを買います。そして第2、第3のテロや誘拐が起こるのです。この人を救ったおかげで、場合によってはそれ以上のけが人や死人が出てしまうわけです。ジャーナリズムとやらは間接的にテロリストを支援していると言われても仕方ないと思いますよ。
ましてや、ジャーナリストは自ら危険であるわかっている地域に出向いているのです。拘束されたのもこれで5回目ですよ、ピーチ姫かよと。日本の優秀な外務省が危険地域と指摘して、自粛をちゃんと要請しているのです。安田純平さんにも危険であることを説明していたようです。こんなのは自己責任だと思います。しかも他人に迷惑をかけているしこれからも迷惑をかける。彼の為に支払った身代金で、現地の人達の人命が脅威に晒される。怒りを感じ得ません。
戦場に勝手に行ったのだから自己責任、と言うからにはパスポート没収とか家族や職場に嫌がらせしたりとかで行かせないようにする日本政府を「自己責任なのだから口や手を出すな」と徹底批判しないといかん。
— 安田純平 (@YASUDAjumpei) 2015年4月3日
頭がちょっとおかしい
ーその時の気持ちとしてはどうでしたか。ほっとしたとか?
いや、とにかく荷物がないことに腹が立って、ということと、トルコ政府側に引き渡されるとすぐに日本大使館に引き渡されると。そうなると、あたかも日本政府が何か動いて解放されたかのように思う人がおそらくいるんじゃないかと。それだけは避けたかったので、ああいう形の解放のされ方というのは望まない解放のされ方だったということがありまして。
貴方が拘束されてから、外務省を通じて日本の政府は貴方を救うために情報収集にあたっていたと思いますよ。にも関わらず望まない開放のされ方とか、一体何を言ってるんですが?
今後の報道のあり方
知るということは大事です。知ることによって、今後同じようなことが事が起こらないように様々な対策を練ることができます。戦争の脅威を知った場合に関して言えば、自衛のための戦力を保持したり、或いは同じ脅威を共有する国と連携するなどの手段が取れるようになります。だからこそ情報(報道)は極めて重要である、これは私も認識しています。
しかし、明らかに危険な地域に赴いてはならない、なぜならば拘束されて、身代金を支払ってしまえば、テロリストの活動に加担することになるからです。
歴史を見る限り、戦争や内乱は互いに疲弊して、ヒト・モノ・カネといった資源を消費し終えるまで終わることはないのです。私たちが手出しをするとむしろ長期化する原因になります。今回の事例もまさにそうです。戦略家エドワード・ルトワックさんは流石ですね。
あくまでも未然に防ぐことが出来るのが情報(報道)です。始まった物を止めることはできません。
「戦場を知る」という事であれば、外務省などの政府機関が情報をしっかりと出しています。それで十分ではありませんか?報道は政府機関の情報に基づいて報道すればいいそれが私の個人的な意見です。
シリアの武装組織に3年余りにわたって拘束され、解放されたフリージャーナリストの安田純平さんについて、「『自己責任』という言葉が浴びせられる状況を見過ごすことができない。『無事でよかった』と温かく迎える声が大きくなるような社会を目指したい」とする声明を新聞労連が出しました。
批判しているのはそういうことじゃないんだが、新聞労連さん(笑)。
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